HOME府本部の取り組み > 2007沖縄平和行進報告〜基地撤去で沖縄に真の戦後を

2007年5月9日〜14日

2007沖縄平和行進報告
~基地撤去で沖縄に真の戦後を

沖縄平和行進

沖縄平和行進

 自治労大阪は、2007年5月9日から14日にかけて、本土復帰35周年・平和行進開始30年めの節目を迎えた「ピースアクション2007・5.15沖縄平和行進」に総勢87人で参加し、全国の仲間とともに基地問題の解決を訴えてきました。また嘉手納基地包囲行動が行われ、基地周囲約17kmを人間の鎖で包囲するなど、反戦・平和・即時基地撤去に向けて積極的に取り組みを進めてきました。。

平和とは命を尊ぶこと

命どぅ宝の家

 自治労大阪青年部は、5月10日に伊江島フィールドワークを行い、アーニーパイル・団結小屋など、今もなお色あせることなく残る戦争の歴史を垣間見てきました。

 中でも「命(ぬち)どぅ宝の家」で、語り部として戦争の経験を語る謝花悦子(しゃかえつこ)さんは「戦後、戦後とよく言われるが、私たちにとっては、まだ戦後は訪れていません。本当の戦後を見ることは、沖縄の人間だけではどうにもならない問題です。平和で安心して暮らすことのできる社会を作っていくのは、すべての大人の責任です。若いみなさん方のこれからのご活躍に期待しています」と語られました。

反戦運動を全国・全世界へ

<マップ>沖縄平和行進・南コース

 <南コース> 行進初日、雲ひとつない絶好の晴天の中、スタート地点の平和祈念公園で出発式が開かれ、今回の平和行進で南コースの本土代表に選出された自治労大阪青年部の辻岡伸也書記長は「非常に暑い中ではありますが、この平和行進と嘉手納包囲行動の成功にむけて、本土参加者としても精一杯頑張っていきたい。再び悲惨な戦争が繰り返されることのないように、全国・全世界に平和を発信していきましょう」と力強いあいさつを行い、行進を開始しました。

(地図は『5.15平和行進、5.13嘉手納基地包囲行動ガイドブック』(沖縄平和運動センター)より転載)

4コースから4620人が県民大会に結集

<マップ>沖縄平和行進・西コース

 <西コース> 2日目、最後の休憩ポイントである砂辺馬場公園を出発し、平和行進は佳境をむかえる中で、自治労大阪は行進団の先頭を担い、積極的に沖縄への思い、反戦・平和の願いを込めてシュプレヒコールをあげてきました。

 途中、過激な妨害行動により、行進がストップする事態になるなど、緊迫した状況になったものの、主催者である沖縄平和運動センターからの指名を受けた、自治労大阪 和田青年部長の熱のこもったシュプレヒコールで、行進団の心はひとつになり、これまでにない大きな声が周囲に響き渡りました。

 予定していた時間を大幅にずれこんだものの、最後の最後までたたかう意思を貫き通して、各コース参加者の集い、県民大会が開かれる北谷球場に到着し、平和行進の成功を祝うとともに、翌日行われる嘉手納基地包囲行動の成功に向けて、決意を新たに固めあいました。

地元からも大きな声援

  平和行進のさなか、沿道にある小学校から大きな声で「頑張って~!」「ファイト!」と声援を送ってくれ、また、地元の多くのおじいさん、おばあさんもしきりに手を振って応援してくれました。

嘉手納基地包囲行動で平和と基地強化反対をアピール

人間の鎖で嘉手納基地を包囲

人間の鎖で嘉手納基地を包囲

  5月13日は、午前から国際連帯集会が開かれ、世界各国の参加者からのアピールや連帯のあいさつを受けました。

 午後は、極東最大のアメリカ空軍基地である嘉手納基地包囲行動に参加するため、約15,000人は、県外参加者が包囲するエリアまでデモ行進で移動し、行動に臨みました。

 人間の鎖による包囲を合計4回、各3分間行ったが、参加人数の目標としていた20,000人におよばなかったことが影響してか、残念ながら包囲行動については完全成功とはいえないものとなってしまいました。

 しかし、これだけ厳しい状況にある中で、国内外を問わず、多くの人々が、この包囲行動に参加をしたということに大きな意義があり、参加者の心の中の手と手はがっちりとつながり、基地を包囲しました。

印刷 文字サイズ小 文字サイズ中 文字サイズ大