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更新日:2015年10月28日

大交再建70周年高野山集会
運動の発展にむけ誓い新たに
70年の歴史を学び、次の80年に

次の80周年にむけ、新たな歴史を積み上げて行く決意を述べる中山大交委員長

次の80周年にむけ、新たな歴史を積み上げて行く決意を述べる中山大交委員長

 大阪交通労働組合(以下、大交)は、5日、高野山で、大交再建70周年高野山集会を開きました。大交は、戦後間もない、1945年11月、戦後大阪の最初の労働組合として再建しました。この集会は、再建から70周年を記念して開かれたものです。中山・大交委員長は「70年の歴史を学び、次の80年につなげていかなければならない」とし、今後の大交運動の発展にむけ、まい進する決意を述べ誓いを新たにしました。集会には、辻元清美衆議院議員がかけつけました。辻元議員は、交通政策基本計画について解説し、地方の創生は公共交通が重要な鍵を握ると強調しました。現在、地方ではバス路線の撤退が急速に進んでおり、毎年2千キロ以上の営業路線がなくなっている。撤退した地域では、住民の移動手段を確保するため、自治体やNPOが主体となってバスを運営している現状です。

 また、辻元議員は、9月に成立した安保法にもふれ、地下鉄・バスをはじめ公共交通機関がテロの標的にされる恐れがあると指摘しました。欧州では、地下鉄やバスがテロの標的となり、多くの死傷者が出ています。「仮にテロが起きると現場で働いている職員も被害を受ける。また、職員は二次被害も受ける可能性があるとわかっていても、現場に急行し対処しなければならない」と指摘し「早急に対策を講じる必要がある」と述べました。また最後には、「交通は、命だけでなく人生も運んでいる」と参加者に語りかけました。集会には、与良正男毎日新聞専門編集委員もむかえ「戦後70年日本はどこへむかうのか」との主題で講演を受けました。

公共交通と福祉の関係は重要と語る辻元議員

公共交通と福祉の関係は重要と語る辻元議員

忘れてはならない
「高野山闘争」

 大阪交通労働組合の前身である西部交通労働同盟は、1924年7月、当局および官憲による徹底した組合弾圧により、これを避けるために高野山に集結し、そして籠城する「高野山闘争」を繰り広げ、当局や官憲と全面対決をしました。戦前は「治安警察法」により労働組合への加入や労働運動は禁止されていました。1903年に創業した大阪市電は1922年までの20年間、毎年大きな事業収支を上げつづけ、大阪市財政に大きく貢献していました。一方で、市電労働者の生活は困窮を極め、一向に改善されない劣悪な労働条件であり、当時の組合員は、懸命に働いても家族を養うことができない賃金でした。組合は、低賃金の改善を求め、約60項目にもおよぶ「嘆願書」を提出。しかし当局は、0回答。そして組合は「要求書」へと切り替え、回答を迫りました。市当局は、回答を拒否することに加え、組合幹部を徹底して弾圧する方針を固めました。これに増して官憲からの弾圧も加わる状況となったため、幹部をはじめ市電労働者は弾圧を避けるため秘密裏に約2千数百人が高野山に集結。高野山では、僧侶などが闘争への理解を示し、食事の提供など行いました。市当局は、この状況を受け、闘争の首謀者など171人の解雇を発表。組合は、解雇者の復職やスト中の賃金などを求めるものの市側はこれを拒否。回答拒否から2日後、組合は、これ以上争議を続けると市民生活に大きな影響が出ると判断し、闘争を終結しました。西部交通労組は、懲戒解雇170人を出し、解体を余儀なくされました。この高野山闘争では「敗北」となったものの、当時の労働者を奮い立たせる大きな歴史を残しました。

 高野山集会でこの闘争を説明した小塩大交退職者会会長は「弾圧を受けながらも、幾多の困難を乗り越え前進してきた先人の歴史的教訓は、今日の大交運動に引き継がれている」とし、21世紀の現在でも大交運動の礎となり、DNAとなって残っていると強調しました。

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